示談成立までの歩み その17 「助産師の言葉」




私は、臨月の助産師に家に来てほしくはありませんでした。

けれど、夫に説得され、

自分の何が悪かったのかさえも理解していない助産師には、

事の重大さを認識させるために、

浩太郎の遺影に謝罪させることにしました。





その代わり、お腹の赤ちゃんに罪はありませんから、

もしも産気づいても家を汚すことのないよう準備をするようにと、

弁護士さんに伝えると、産科医院の院長と師長も同席すると言われました。







そして、2011年6月8日

助産師と産科医院の院長と師長、その弁護士、

私達と弁護士2名 総勢8名が集いました。







浩太郎の仏壇に順々に焼香されてから、

助産師は言葉を述べました。





「この度は本当に申し訳ございませんでした。

謝罪しようと思っていたけれど、

大きなことになって精神が不安定になって…、

私の身に起こったことで○○さんのお気持ちを考えると…、

結婚は以前から決まっていたことで…。」







みなさんは、この言葉を謝罪と認めることができますか?







医療従事者の方々は、同業者として許せますか?





この助産師の言葉に、

事故を起こした医療従事者本人の責任を追及しないことが、

本当に医療の発展の為になると思われますか?



なぜ、今頃、謝罪なのでしょうか?





助産師は自分の不注意で浩太郎を植物人間状態にしてしまったから、

眠れなくなったのではなく、

「大きなこと」つまり、世間に公表されたから、眠れなくなったのです。

それでも心療内科を受診するほどではありませんでした。

事故の報道があったのは事故直後の2010年2月〜4月、

私達が事故の詳細をHPに掲載したのは、8月中旬です。

そして8月下旬、体調不良を理由に休職し、説明会への出席を免れようと

心療内科の受診記録を提示してきたのです。





私は助産師が妊娠していたことが許せないのではありません。

自分の犯した罪の重さを認識していないことが許せないのです。

助産師は責任逃れをして、逃げているだけだと思っていましたが、

それすらでもありませんでした。

責任さえ感じていないのに、自殺するかもしれないなんて無用の心配でした。





院長の助産師指導不足による不可抗力としか思っていないと思います。

管理責任者の院長が損害賠償をするので、

医療事故の責任は果たせたと思ったのでしょう。

だから、妊娠もすれば、結婚もできるのではないでしょうか?

それを責められるとも思っていないから、この言葉になるのではないでしょうか?





私は助産師に自分の犯した罪をわからせるように

声は荒げていましたが、言い諭したつもりです。

産科医院の弁護士さんは私の言葉に終始うなずいておられました。





そしてもう一つ、本来は親のことまで言うべきではありませんが、

あえてこの場で言わせていただきます。

私達は本当の意味で両親が娘の代わりに謝りたいと言っていると思ったから

両親からの謝罪をお断りしたのです。

(参照 26.示談成立までの歩み その7)





ですが、ただ単に刑事告訴をされたくなかったからではないでしょうか?

本当に娘の犯した罪を理解しているのであれば、

代わりに謝るのではなく、「眠れない」とうなだれている娘を、

一刻も早く謝罪させるように説得するのが親の務めではないでしょうか?

それが人の道ではないでしょうか?





代わりに謝るのは単に子どもを甘やかしているだけです。

心療内科の受診記録まで提出して謝罪を逃れようとさせるのではなくて、

心配なら、親が付き添ってきて謝罪させることだってできたはずです。





結婚が決まっていたのであれば、尚更のこと、

謝罪を済ませてから結婚すればいいと諭すのが親の務めではないでしょうか?





本当に謝罪もできないほどの体調不良であれば、

結婚式を挙げることなどできるはずもなく、

助産師の両親も謝罪の意があったとは到底思えません。





結婚させて姓が変われば、

ご近所の人にも、結婚相手側にも知れることはないとでも思ったのでしょうか?





ちらかしたおもちゃの後片付けもさせないで、

自分だけ前に進むことは許されません。





それから私は、助産師と院長、師長に対して、

「あなた方が責任逃れをしている間に、また私達と全く同じ事故が二度、三度、起きました。

自分さえ良ければいいんですか?

自分の病院が守られれば、産科医でありながら、助産師でありながら、

人の赤ちゃんの命が奪われてもいいんですか!?

師長さん、二度と同じ過ちを犯さないって言いましたよね!?」

と泣きながら言いました。







夫は、私達が心を痛めているのは、同じことが繰り返されることであって、

再発防止に努めてほしい、それが真の謝罪だと思うと言ってくれました。







そして、弁護士さんもそれが私達の強い要望だと念を押してくださいました。



最後に私は、助産師に対して、

「これで謝罪が済んだと思わないで! これからどうするべきか考えなさい。」

と言いました。



それからもう一度、浩太郎の仏壇に順々に焼香され、帰られました。



私達の弁護士さんは残られて、少しお話をしました。

そして私達にとっては納得できないでしょうが、

長年、医療事故訴訟を手がけてきたが、

ここまでする医師はいなかったと仰いました。



私達もこれまでの経過で院長の人柄は十分伝わってきましたし、

師長はもともと信頼していた人ですから、と申し上げました。





医療従事者のみなさん

医療事故を起こした医療従事者本人に責任を問うことは、

少なからずも医療を志す人達に不安を与えるかもしれません。

ですが、“責任を問う”とはどういうことでしょうか?

“責任を果たす”とは損害賠償のことでしょうか?





謝罪をさせることは人として当たり前のことではないでしょうか?

一生懸命医療に従事していたとしても、

人の命を奪ったことに変わりはないのですから。



責任を問わない、謝罪もさせないことが、

人の命を預かっているという責任や

ちょっとした不注意で人の命を奪うことがあることを認識できない

無責任な医療従事者にさせているのではないでしょうか?



そして何より、本来であれば、

事故を起こしたら、罪の意識に苛まれるであろう常識ある医療従事者にとっては、

謝罪させてもらえないことが、かえって苦しませることになるのではないでしょうか?





謝罪することで、良心の呵責から解放されて初めて、

負の経験を生かすことができるのではないでしょうか?





正直に真実を明かせない医療界の隠蔽体質が

医療従事者の崇高な精神を萎縮させているのだと思います。



事故を起こしても、真実を明かして原因究明し、

心から反省し、謝罪し、再発防止に努めれば、

当事者個人に損害賠償を求められることはないという体制を整えることが、

医療の発展のために医療従事者を守ることではないでしょうか?







その後 7月5日、弁護士事務所に打ち合わせに呼ばれ、

産科医院の弁護士から、損害賠償請求を了承すると報告があったと告げられました。

また、産科医院作成の事故の再発防止のための啓発活動について

これまでの経過をまとめた文書を弁護士さんから渡されましたが、





助産師からは何の報告もありません。





7月28日

損害賠償請求の文言を加えて、新たに作成した和解書に調印して

正式に示談が成立しました。