示談成立までの歩み その13「助産師の診断書」




中間示談書の調印、説明会が終わって、

浩太郎の事故を起こした産科医院が

長崎県医師会を通じて日本医師会に事故報告をし、

その他に啓蒙・啓発を要請する旨の

文書を提出したとの文書は受け取りましたが、

その後産科医院から何の報告もありませんでした。

また助産師の謝罪は、本人の体調不良の為、延期との事でしたが、

それもいつになるのか何の連絡もありませんでした。





私達は弁護士の先生に

「助産師の謝罪は、一体、いつ実現するのでしょうか?

体調が悪ければ医師の付き添いの下で行なうとか、

何らかの方法は無いのでしょうか?

また医師会からの、その後、どうなったかも

産科医院からは報告を受けておりません。

示談書の最後にも記載されておりますが、

あくまで示談書の調印は済みましたが

その後の対応に、私達は未だ満足しておりません。

御手数ですが、助産師の件、医師会のその後の動きを

確認して頂けないでしょうか?」

とメールで催促をいたしました。





すると、2011年2月9日に打ち合わせに呼ばれ、

私達の弁護士から「相手側の弁護士に確認したところ、

文書で質問事項を出してくれと言われた」と、

その質問事項を書いた文書を提示されました。







その文書は

1 「カンガルーケア医療事故再発防止に関する各医療機関への啓蒙のお願い」

に対しての日本医師会の対応について

2 長崎県医師会の「関係役員に配布し、検討する」の具体的進行状況の確認

3 県看護協会への報告・啓蒙要請の具体的な活動について

4 助産師へは今後も貴職(産科医院の弁護士)を通じて連絡・アドバイスが可能かどうかの確認

  直接謝罪ができるまでに回復する見込み及び見込み期間の心療内科への確認

となっていました。





助産師の体調不良について

2010年9月17日に提示されたものはただの受診記録で、

その時、助産師は休職していると告げられていました。

しかもその受診記録は、体調不良を理由に

説明会に出られないことを主張している助産師に対して、

私達の弁護士さんが証明できるものを出してくれと

要請してくださったために出されたものでした。





なぜ、その時、診断書ではなく、受診記録だったのでしょうか?

この受診記録が助産師の状態について、

診断書を出せる程度のものではなかったということを証明しています。





この日、助産師は12月末に退職していたと告げられ、

今度は助産師の心療内科の診断書を渡されました。





退職しているとなると、相手側の弁護士さんは産科医院の弁護士さんですから、

助産師に対しては何の権限・責任もないことになります。

ですから、上記4のような文言になるわけです。





助産師の診断書の日付は2011年1月です。

初めて心療内科を訪れたのは、2010年8月下旬で、

「抑うつ・不眠・不安などにより、自宅療養・通院治療を開始した、

ストレス負荷により症状が悪化し、気分や対人関係が不安定になる危険性が高く、

自宅療養・通院治療の継続が更に必要である。」と記されていました。





この診断書の文言は前年9月に提出されたものと何ら変わりなく、

「継続が更に」という文言が付け加えられただけです。





私達は、ただ逃げているだけじゃないか!と思いましたが、

「とりあえず、この文書を提出するので、返答を待ちましょう」

と弁護士の先生になだめられ、しぶしぶ了承したのです。





実は、示談書の調印の前に、

HPの「ははのくのう」に助産師についての文章の掲載を控えた時も、

弁護士の先生に、「無理に説明会への出席を要請して、助産師が自殺でもしたら、

私達も後味がわるいだろうし、

逆に私達に非難の声が上がるかもしれないから」となだめられていました。





正直、助産師が自殺しようと許さない

事故の真相も明らかにせず、謝罪もせず、

自殺するようなら、さらに許さないと思っていましたが、

何よりも調印させることを優先させたのです。





私は、事故直後、

そんな助産師の脳では嫌だけれど、

できることなら浩太郎の脳と助産師の脳を取り替えてくれとまで思いました。





このような発言を惨いと思われるかもしれませんが、

元気に生まれたばかりの我が子を、

医師や助産師の単なる不注意で植物人間状態にされたことが

どれほどの苦しみか、わかっていただけるでしょうか?



弁護士さんからは

今後、助産師からの何らかの返答がない場合は、

助産師本人を刑事告訴することもできないわけではないと

助言していただきました。



その日、私は既に「12.抱いてなんかいません」を書き上げていて、

弁護士さんにチェックしてもらい、帰路につきました。



そして、2月15日 浩太郎は天に召されました。