示談成立までの歩み その10 「法の下の平等?」
示談書を産科医院に提出するとの前回の打ち合わせの後、
何の連絡もないので、2010年10月25日、
いったいいつになるのかと弁護士さんに電話で問いました。
すると、示談書は10月18日に産科医院側に提出したとのことで、
あと1ヶ月ほどかかるという返事でした。
それを聞いた夫は今まで我慢してきた不満が吹き出て、
以下のメールを弁護士さんに送っています。
昨日、家内より産科医院側から、あと1ヶ月程、
待って欲しいとの要求がきている事を聞きました。
ですので、一応、11月18日までは待つ事としますが、
この日がリミットにして頂きたいのです。
以前より何度も申しておりますが、浩太郎の誕生日までには決着を付け、
すっきりした気持ちで息子の初誕生を祝ってやりたいのです。
この事を充分、御了承頂いて、相手方にも御伝えして欲しいのです。
11月18日の打ち合わせの場で、「いや、示談書の一部は認めない」
などとなった場合は、さらに時間がかかる訳です。
もしそれなら何も11月18日まで待たず、早めに回答して欲しいのです。
説明会の要求については、もう何ヶ月も前から要求している事で、
さらに1ヶ月待って欲しいと言うのは、
いまだに何もしていない証拠なのではないでしょうか?
そこまで、私達が産科医院側に対して、
都合を合わせる義務など無いと考えております。
今まで、全てにおいて産科医院側の都合に合わせてきました。
公表の時期でもそうです。HPに載せる文章でもそうです。
どうか相手方へ事情を説明して頂き、
保険会社にも働きかけるよう要求して頂けないでしょうか?
示談にも手順と言うものがあるとは思いますが、
私達が産科医院側の都合に合わせてばかりの様な気になり、
本当に誠意が伝わってきません。むしろ怒りが込上げる程です。
これ以上、家内に悲しい思いをさせたくありません。
どうか御理解頂きまして、御願い申し上げます。
すると弁護士さんから11月1日に打ち合わせに呼ばれ、
「待たなくても、今すぐにでも裁判を起こしてもいいんですよ。」
と言われました。そう言われた後で、
「裁判にするとさらに時間がかかる、
私達のケースは非常に早いケースだし、もっと労力がかかります。」
と説明されました。
私はこの時、弁護士さんに脅されたような気持ちになり、
反論したかったけれど、
怖くて何も言うことができませんでした。
けれど、浩太郎が亡くなって、
先日、損害賠償請求の打ち合わせの際、
弁護士さんから、
「こんなにうまく示談が成立したのは、
相手側の弁護士さんのご尽力によるところが大きいと思う。
医師が非を認めていても、示談に応じず、裁判になるケースが多く、
私達の場合もその可能性は大きかった。」
と打ち明けられました。
きっと私達の弁護士さんも、
私達の再三の要求に頭を悩ませていたための発言だったのだと思います。
私達は改めて、双方の弁護士さんに感謝すると共に、
医療界の横暴さに驚愕しました。
そして、これらの事は、これまでの医療事故訴訟が、
示談「交渉」といえど、
如何に医療界側の都合で、加害者側のペースで、
進められてきたかということを表しているのではないでしょうか?
賠償責任審査会の審査に2,3ヶ月かかる理由は何でしょうか?
件数が多いからかもしれませんが、
交通事故での保険会社の対応もそんなにかからないと思います。
審査に時間がかかるから、かもしれませんが、
その報告書はありません。
賠償責任審査会は第3者機関ということですが、
単なる「有責」との電話連絡のみであっても、
その内容は裁判所を通しても開示させることはできないそうです。
報道各社が医療事故を公表できないのは、
名誉毀損で訴えられる危険性があるから。
『事実であっても、病院の名前を公表されたことにより、
患者が減り、収益が下がったとして、
名誉毀損で損害賠償訴訟される危険性がある』
この医療界の横暴さは、一般社会の常識とはかけ離れています。
加害者の体調不良に、
被害者が都合を合わせないといけないでしょうか?
被害者は植物人間状態にさせられたのです。
そして1年2ヶ月で亡くなりました。
損害賠償が3歳まで支払われない理由は、
少しでも損害賠償額を少なくしたい、保険会社の都合ですよね?
そこに被害者側の苦痛は考慮されているのでしょうか?
被害者が亡くなってしまえば、
確かに被害者の介護の苦痛はなくなります。
医療費・介護費を余分に支払わないための措置とは、理解できます。
ですが、浩太郎が亡くなった後にわかったことですが、
被害者の慰謝料まで減額されるのはなぜでしょうか?
生存している方が精神的苦痛が持続するので、死と同額ではない
というのが、法的見解のようですが、
元気に生まれてきたのに、
何の問題もなく生まれてきたのに、
助産師や医師の不注意のせいで、
見ることも、食べることも、動くこともできない
植物人間状態にされたという事実は、
被害者が亡くなったとしても変わらないのではないでしょうか?
むしろ、たった1年2ヶ月の生涯を閉じることになった
被害者の尊厳をどう捉えるのでしょうか?
また被害者の家族にとって、
被害者の介護の苦痛がなくなるから、楽じゃないか、
死は時間と共に風化するだろうとも言われるそうですが、
通常の死ではない、 逆さ順の死、
助けてあげられなかったという親の苦しみは、
増すことはあっても減ることはないと思うのですが、
違うのでしょうか?
加害者の人権に考慮しすぎるあまり、
被害者の尊厳がないがしろにされてはいないでしょうか?
凶悪殺人事件の時効の制度があったのは、加害者側の論理、
撤廃されたのは、被害者側の論理ではないでしょうか?
殺された被害者の無念さ、
遺族の苦しみは一生涯消えることはないからだと思います。
精神的苦痛を慰謝料として金額で算出するのは非常に難しい問題で、
本来、換算することなどできないものであり、
それに対してさまざまな考慮がされていることはわかります。
ただ、私は慰謝料の額に不平を言っているのではなく、
被害者の尊厳を守ってほしいのです。
亡くなった後に慰謝料をもらっても、被害者本人には無意味です。
加害者に、真実を明らかにして、何が悪かったのか、
しっかりと反省して、謝ってほしいのです。
そのことを一番に考慮した制度にならないでしょうか?
「罪を憎んで、人を憎まず」であればこそ、
広く世の中に公表し、注意喚起を促し、原因究明をして、
二度と同じ被害者を出さないことが、
取り返しのつかない過ちを犯したことへの
謝罪といえるのではないでしょうか?
犠牲になったわが身、わが親族を呈して、
医療の発展に貢献できれば、
被害者の尊厳も少しは守られ、
その遺族の悲しみも少しは癒えるというものではないでしょうか?
ですが、その被害者側の望みは、
損害賠償を求めることでしか訴えることができない
現在の日本の医療事故裁判では、叶うことはありません。
人権を守るための法が、
制度の不備によって、さらに被害者が苦しい思いを強いられる、
制度を守るための法になってはいけないと思います。
打ち合わせの最後に、説明会の場所について、
弁護士事務所でするか、
ホテルの一室を借りるか、
医師会館の部屋を借りるか、
「どこがいいですか?」と持ちかけられました。
「特に場所の要望はありません」とお答えしました。