みんなで育てる、みんなのこども
私達は浩太郎を出産するにあたって、
高齢出産ですから、細心の注意を払って出産に臨んだつもりです。
(参照 事故の詳細 その1)
出産・育児雑誌は取り立てて読みませんでした。
さまざまな情報にまどわされるのが嫌でしたから。
市主催の妊婦の料理教室や両親学級に通いましたし、
産科医院主催のマザークラスやマタニティビクスに通いました。
担当された医師によって、看護師・助産師によって、
少々の対応の差はあれ、
日本の医療を疑う気持ちなどありませんでした。
どんなに経過が順調でも、
ダウン症の子が生まれる可能性は医師から説明を受けていましたし、
何があるかわかりませんから、夫婦で十分話し合い、
どんな子が生まれても育てていこうと思っていました。
実際、私は浩太郎を出産するまで、
この産科医院の院長にも勤務医師にも、
看護師や助産師にも特に不満はなく、
マタニティビクスの先生やたくさんのママ友に出会い、
無事に出産の日を迎えられたことにとても感謝していて、
この産科医院を選んでよかったと、
幸せな気分に満ち足りていました。
それが、こんな事になるなんて!
なぜ?!
なぜ、私なの!
やっと授かったのに!
私じゃなくたって!
浩太郎はカンガルーケアの危険性を世に知らせるための使命を
神様から授かってきたのだと思いはしてみても、
なぜ、浩太郎なの?
なぜ?!
という気持ちを拭い去ることはできませんでした。
けれど、以前、流産を経験したとき、
夫の友人で、何度も流産を繰り返してこられたご夫婦の
「生まれてくることが当たり前ではない」
という言葉を思い出したのです。
だからこそ、
授かったことのありがたさも感じることができたし、
どんな子が生まれても育てていこうと思うことができたことを。
とは言っても、
この現実を容易に受け入れることはできませんでした。
人工呼吸器で、意識もなくて、
目も見えているかどうかもわからない。
脳のほとんどが機能せず、回復の見込みは無いに等しい…。
私は、これまで生きてきて、自分の至らなさで、
わがままになったり、無責任になったり、
自分では気づかないうちに
人を傷つけてしまってきたかもしれない事の罰があたったのか?
と思ったこともありました。
「そんなことを言うもんじゃない!」と母に叱られました。
若くして夫を亡くし、女手一つで私達3人の子どもを育ててくれて、
数々の苦難を乗り越えてきた母の言葉
年老いて、足腰も弱くなったのに、
雪の降る中、一人JRに乗って、私を元気づけに来て、叱ってくれる。
きっと私以上に、我娘が苦しんでいる姿を見るのは辛いだろうに、
こんな苦難を味わわせるのは自分の業の深さかと
人知れず自分を責めただろうに、そんな素振りは微塵も見せず、
「前を向いて歩きなさい」
と言って勇気づけてくれる母のありがたさが身にしみました。
その通りだ、罰があたったと思ったら、
障害のある子はいらないと浩太郎を否定していることになる。
そんなことは思いたくなかった。
浩太郎は何も悪くない、
浩太郎にとっては、これが当たり前、
こんな状態でも一生懸命に生きている、それが浩太郎なのです。
「浩太郎の前で泣いてしまったら、
「どうしてお母さんは泣いてるの?」って、浩太郎に言われるよ」
と夫が言いました。
「僕は何かおかしいの?」
「僕はかわいそうなの?」
浩太郎をかわいそうだと思ったら、
何がかわいそうかさえ知らない浩太郎がもっとかわいそうだと思いました。
幼児虐待のニュースが飛び交う昨今、
母子関係に有効だから、母乳の出が良くなるから、
というカンガルーケアの利点は全く大人の理論ではないでしょうか?
笑顔を絶やさず、前を向いて、自分ができることを精一杯やる、
母乳を搾って、毎日、浩太郎の面会に行く、
それが私にできること、でした。
けれど、現実を見るのは辛かった。
浩太郎の前で泣いてはいけない、とわかっていても、
堪えても堪えても、涙は止め処なく流れて、
こんなにぷくぷくとしてかわいいのに…、
何の問題もなく生まれてきたのに…、
なぜ…、なぜ…、と、
元の木阿弥を何度も繰り返しながら、
『生まれてくることが当たり前じゃない、
たまたま普通に生まれてきた
たまたま障害を持って生まれてきた
たまたまなんだ!』
そう書いて壁に貼り、自分に言い聞かせました。
その頃、テレビで年末の流行語大賞みたいな番組をやっていて、
話題になった筆談ホステスさんの言葉を書きとめ、それも壁に貼りました。
『難題のない人生は、無難な人生
難題のある人生は、ありがたい人生』
でも、難題なんかいらない、無難な人生の方がいいと、
その言葉の意味がこの時はまだわかりませんでした。
「障害」という言葉が辛くて、
「たまたま「難題」を持って生まれてきた」と書き直しました。
年が明けて、2010年1月初旬、
浩太郎の医療費の請求書を看護師さんから渡されて、愕然としました。
「114万」
でもこれは、浩太郎の保険証ができる前の、保険診療全額の金額でした。
「受給者証」を窓口に提示してくだされば、
計算し直しますと添付してありました。
長崎市では、乳幼児福祉医療費の助成が行われていて、
自己負担金は保険医療機関ごとに、ひと月につき、
日額上限800円、月額上限1600円となっているのです。
なんと、ありがたいことでしょうか!
市役所からその「受給者証」が送られてきて、
その封筒に「みんなで育てる、みんなのこども」と記されてありました。
その言葉に私はどんなに救われたことでしょう。
その封筒も壁に貼りました。
「社会全体で育てていく」、
この先の浩太郎のことがとてつもなく心配だった私達は、
私達が税金を納めて成り立つ国の有り方、福祉のありがたさを、
改めて痛感しました。
残念ながら、浩太郎は入院しているので、
入院療養費が1日780円で月に2万6千円ほどかかりましたが、
浩太郎が元気ならそのくらいのお金はかかるものなのだろう、
と思いました。
ここにも今の医療体制の問題点があります。
国は増幅する医療費に苦難して、何とか医療費を削減しようと、
7〜8年前に、入院にかかる食事代やベッド代を医療費から切り離したそうです。
そして患者さんを3ヶ月以上入院させないで、
自宅で介護することを奨めていますが、
そのため「介護難民」という問題も出てきています。
2月に入ると、マタニティビクスで一緒だったママ友達が、
自分も子育てで忙しいのに、心配して、家まで来てくれました。
ありがたかった。
マタニティビクスの先生も、
忙しい仕事の合間をぬって、家まで来てマッサージしてくれました。
長い付き合いの友人夫婦も、
お稽古事で憧れの先輩も、仲間も、
お弁当やお菓子を持って家まで来てくれて、
話を聞いてくれて、励ましてくれて、慰めてくれました。
みんなが心配してくれて、応援してくれる、
みんなが支えてくれる、
なんとありがたいことでしょうか。
それでもやっぱり、
浩太郎の病院の帰りに買い物に寄って、
小さい子どもを連れている人たちを見ると辛かった。
難題の無い人生のように見える人々が羨ましく思えました。
2月末から、浩太郎の事故が報道され始めて、
少し気持ちが晴れました。
放送を見てくれて、大変だったねと
たくさんの友人から、応援の電話、メールをもらいました。
ありがたかった。
6月3日、九州一円で30分のドキュメント番組、
「胸の上の悲劇 〜カンガルーケアの功罪〜」
が放送されました。
私は2009年9月に行われた日本母乳哺育学会で、
カンガルーケア中に事故が起こっていることを報告し、
カンガルーケアのガイドラインを作成された有志の医師達は、
久保田医師の意見に賛同されているものとばかり思っていたので、
未だにカンガルーケアを続行しようとしていることが信じられず、
番組の中で、なぜ久保田医師の学説がもっと大きく取り上げられないのか?!
とても歯がゆい思いをしました。
そして、6月27日の長崎新聞での記事
(参照 出産現場に事故が警鐘)
「浩太郎の場合は、カンガルーケアとは別物なので、
この事例を元にカンガルーケアの危険性について騒ぐのはナンセンスだ。」
というコメントさらに、
恐ろしい医者の本音
久保田医師の学説が正しいことは、
おそらくほとんどの医師はわかっているであろうに、
全くの他人事かの如く口を閉ざしていることが、
医師に対する不信感をつのらせていきました。
どうすれば、カンガルーケアの是非ではなく、
出生直後の赤ちゃんの管理体制を見直して、
赤ちゃんの呼吸が止まることを未然に防ぐことに医師たちが奔走してくれるのか
怒りと焦りが込み上げていました。
どんなに、事故が放送されても、事故のことを説明しても、
所詮、他人事でしかない、哀れみの言葉。
そうじゃないのに!
赤ちゃんが危険にさらされているのに!
私の気持ちなどわかってもらえない…。
悪気がないのはわかっているけど、
がんばってるね、強いね、偉いね、という言葉が胸を刺しました。
強い母親になんかならなくていい!
普通の母親でいい!
と夫の前で泣きじゃくりました。
その時、ふっと、
「だったらおまえの人生と元気な子どもを産んで
育てている女の人生を取り替えてやろうか」
そんな声がして、
その時、わかったのです。
「難題のある人生は、ありがたい人生」の意味が。
「いやだ! 私はこの夫がいい! 浩太郎がいい!!」
と思いました。
人生はなかなか自分の思うようにはいきません。
それを嘆き、不平不満を言い、
今の自分の人生が如何に幸せで、ありがたいものであるかに、
気づかないでいるのではないでしょうか?
難題がふりかかることで、ありがたさに気づかされる、
それが、「ありがたい人生」の意味なのではないか、と思いました。
その頃、私は友達にメールを送っています。
「辛いけど、不幸ではない」と。
夏の暑い日、7月下旬のことでした。
難題をふりかけられなければ、
自分の人生がありがたいとは気づかなかったことかもしれません。
浩太郎がカンガルーケア中に事故に遭ったことで、
私達はたくさんのことを学びました。
これも浩太郎が事故に遭わなければ気づかなかったことかもしれません。
一般的に、誰もがこんな事故に遭う、病気になる、交通事故に遭う、
なんて思ってはいません。
私だって、そうでした。
カンガルーケアを行って、何の問題もなかった人は、
カンガルーケアの問題点など気づくはずもありません。
気持ちをわかってもらえない、それが当然なのです。
逆の立場だったら、
私も優しい言葉をかけることができたかどうかもわかりません。
なんらかの困難に遭うことでしか、
世の中の問題点に気づかない愚かな人間であれば、
それが国の体制の不備によるものであれば尚更のこと、
気づいた時に、
改善していかなければならないのではないでしょうか?
テレビのクイズ番組などで有名な篠沢教授が、
難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)で
療養中とのテレビ放送(TBSひるおび)を見たのは、
浩太郎の事故直後の2010年の1月のことだったと思います。
「こうしていたらよかった
ああしていたらよかったと思ったら、
ベッドの中でもがいてしまう
今を生きる」
放送の中で、
教授が不自由な手でこう書かれた言葉を思わず書きとめ、
これも壁に貼りました。
そして、その教授の奥様が新宿区に
障害者自立支援法に基づくサービスを
申請したところ、却下されたそうですが、
後に新宿区は対応の誤りを認め、
謝罪したというニュースが流れたのは、
次の月の2月3日のことでした。
篠沢教授に新宿区謝罪 サービス申請却下で
元宮城県知事、浅野史郎さんが
成人T細胞白血病(ATL)を発症し、療養中の自宅から
テレビ(TBS朝ズバ!)に出演されたのは、
2011年の1月のことと思います。
ATLと闘う 患者になって300日
その放送の中で、ATL患者の会の方が長年、
厚生労働省に改革を求め申請をしてきたけれども、
なかなか認めてもらえず、今回、浅野さんの協力で、
首相官邸で菅総理大臣と面談され、予算措置等が決定したことに
感謝の意を唱えていらっしゃいました。
はむるの会
それに対して、浅野さんは、
抜粋ですが、
「厚生労働省を責めても仕方がない、政治主導がある。
一般の人は知らない、他人事ではない、知らせることが大切」
と仰っていました。
「病気になったことで、自分の「使命」というか、
そういうものを感じました。」とも仰っていました。
先の
はむるの会
のHPの中で紹介されていますが、
2011年5月22日に開催予定のシンポジウムの中でも、
「患者になって分かったこと、患者でないと分からないこと」
というタイトルで講演されるようです。
次の世代を担う子どもたちを、
「みんなで育てる、みんなのこども」である社会だからこそ、
事実を公表し、社会全体で共有し、
より良い社会へ改善していかなければならないと思います