示談成立までの歩み その3 「医療界の隠蔽体質と闘う医師」
2010年2月3日に弁護士の先生と委任契約をして、
それから1ヶ月ほど、何の連絡もありませんでした。
私達の方も、新聞社の取材を受けたり、
心配してくれる友達が訪ねてきてくれたり、
取材されたことがテレビや新聞で報道されたりして、
慌しく日々が過ぎていきました。
私は、担当助産師のついた嘘が許せなくて、
けれど夫に悲しむ顔は見せられないと、
夫を仕事に送り出してから、
トイレで自分の腿を叩きながら、泣きわめき、のた打ち回り、
それでも泣きながら3、4時間置きに母乳を搾り、
毎日3時に、病院に行き、
人工呼吸器で、意識もなく、何の反応も示さない浩太郎の目の前で、
涙を見せてはいけないと必死に堪える、
そんな悲痛な日々を送っていました。
そんな中、2月28日に、
今はもう放送終了しましたが、テレビ朝日のサンデープロジェクトで
医療界の隠蔽体質と闘う医師
という特集番組を偶然見合わせました。
世の中には医療事故で苦しい思いをしている人が
たくさんいるということを知りました。
そしてその大半の人は、
医療界の隠蔽体質によって苦しい思いをさせられているということ、
医療ミス自体の苦しみよりもさらに、
その後の医療界の対応が被害者を苦しめるということ、
まさにその通りだと思いました。
番組の中で、病院側がカルテの改ざん等や隠蔽されたことに抗議して
焼身自殺をされた方が紹介されていました。
私にはその人の気持ちが我が事のようにわかりました。
私も守るべき子、夫がいなければ、同じ事をしていたかもしれません。
「医師であっても、悪いことは悪い」
と当たり前のことをおっしゃっているその医師は、
大学病院内でたった一人に虐げられても、
自分の医師としての精神を貫き通す、
医師である前に一人の人間であり、
人としての常識が身についた極当たり前の人間に思えますが、
そんな医師は、久保田医師同様、
この日本の医療界では異端児扱いのようです。
たった一人で闘ってくださるその医師のおかげで、
裁判官は病院側のカルテの改ざんや、
医師や看護師の嘘を認めるような判決を下したようですが、
それは非常に難しく、そして珍しいことのようでした。
番組の最後に、あるジャーナリストの方が、
早急に公的な医療事故調査委員会や医療事故裁判制度を
成立させる必要があると思うと言っておられ、
私にはその言葉がとても印象的でした。
3回目の打ち合わせは、3月18日でした。
産科医院側の弁護士から、
「事故調査委員会」へ申請したと連絡があったと言われました。
結果は2,3ヶ月かかるだろうと。
これは「賠償責任審査会」のことだと後でわかったのですが、
このとき、私達の弁護士からは、
「事故調査委員会」としか言われませんでした。
久保田医師も新聞社の方も、
「事故調査委員会」なんて、なんの組織のことだろうと疑問に思っていたと
示談が成立した後、聞きました。
私は、医師や助産師の嘘を証明したくて、
救急隊の記録を入手したいと弁護士さんに申し入れましたら、
弁護士の方でしてもいいが、手続きが非常に複雑で時間がかかるので、
本人がする方が早いと説明され、
消防署に申請に行き、その記録を入手しました。
ですが、夫からも、弁護士さんからも、
人が嘘をついていることを証明することは、
非常に難しく、不可能だと言われ、
それから3ヶ月、
事故調査委員会からの結果を待つのみの、
不安な日々を過ごすことになりました。
4月17日
浩太郎の面会を午前11時に許可してもらい面会を済ませた後、
福岡の久保田医師を訪ねました。
久保田医師の弁護士さんと産経新聞、rkb福岡放送の記者さん達も来てくださり、
勉強会をしました。
この時、久保田医師は浩太郎が救急搬送された時のカルテをご覧になり、
なぜ浩太郎の呼吸が止まったのか、(参照
1.なぜ赤ちゃんの呼吸が止まったのか
)
カンガルーケアや完全母乳・母子同室の危険性を詳しく説明され、
「残念ながら浩太郎君は低血糖だったんだね」と言われました。
辛いけれど、私達は納得し、事実を受け入れることができたのです。
そして、この頃、夫はこのHPを立ち上げました。
浩太郎が生まれた事を皆さんに知って頂く事と、
カンガルーケアの危険性を知って頂く為、
そして浩太郎の生きた証を残す為に。