示談までの歩み その1 「訴訟への覚悟」




2010年1月5日、新聞社の方に取材を受けた際、

裁判になれば、医院の名前を公表できるかもしれないと

アドバイスを頂いたので、

私達は弁護士に相談することを考え始めました。





ですが、裁判を起そうとすることが、

どれだけ勇気がいることか、皆さんには想像できるでしょうか?

私達は、人の噂で「医者が勝つようにできている」とか、

「負けたら相手側の費用も払わなければならない」など、

その程度の知識しかありませんでした。





それに、何より私達は事故を起した産科医院の院長の

「申し訳ない」という言葉を信じていました。

2009年の12月29日、担当助産師の

「できる限りのことはした」という言葉に憤りを感じていても、

その場ではその助産師を制しなかったけれど、

きっとその後に事の真相を追及して、

謝罪してくれるものと思っていたのです。





人の上に立つ経営者であれば、

従業員を守らなければならないことは十分わかっています。

ですが、従業員を守るということはどういうことでしょうか?

嘘をついて責任を逃れようとする従業員を叱責し、

責任は自分(経営者)が取るからと、真実を告白させ、

本当の意味での反省をさせることなのではないでしょうか?





『事故の詳細』でお分かりと思いますが、

産科医院の院長はとても落胆していて、

「申し訳ない」という言葉に嘘はなかったと思います。





また、『事故の詳細』で述べている通り、

「責めるなら私達助産師を責めてくれ!」

「私も人の親だから、気持ちはよくわかる」

と言ってくれた師長もとてもいい人で、私達は信頼していました。





実は、私達は個人的に師長の連絡先を聞いていて、

私が退院した後、母乳の搾り方に不安を感じた時、師長に連絡したのです。

すると、わざわざ家に来てくれました。



「医院には内緒で、プライベートで来ました」と言われました。

母乳の搾り方などの指導を受け、世間話をしました。

私はプライベートで来たと言う師長には、

あえて事故のことは質問できませんでした。





こんな師長と院長のことだから、

きっと誠意を持って対応してくれると思っていたのです。





ですが、年が明けて1月9日、その思いは無残にも裏切られました。

院長は人が変わったように態度が激変していて、

私はおぞましい化け物を見ているような感覚に捕らわれました。





そして反省しているとは全く思えない助産師の態度に、

夫は「裁判で戦いましょう」と捨て台詞を吐いて、

その場を立ち去ってきたのです。





それでも私達は随分悩みました。

その後、もう一度新聞社の方に取材を受けた際、

医療訴訟は非常に難しく、時間とお金と労力がかかる、

医療専門の弁護士が長崎にはいないこと、

弁護士費用が、先ず着手金に50万円かかることなどを聞かされ、

私はこのまま何もしない方がいいのではないか、

裁判を起したところで、浩太郎が元の体に戻るわけじゃない、

浩太郎の医療費を想像しただけでも不安だし、

その上裁判費用などとても払えない・・・、

そんな思いに駆られていました。





それに夫は私を励まそうと必死に悲しみを堪え、

明るく振舞って、高ぶる感情を押し殺し、平静を装おうとしたためか、

12月下旬、突然、原因不明の激しい動悸に襲われ、

近くの内科医院を受診すると、不整脈と診断されました。

それ程のストレスを夫は抱えていたのです。

私は、夫に申し訳なくて、そして不安で不安でたまりませんでした。





それでも夫は私の顔から笑顔が消えた苦しみを大事に思ってくれて、

そして何より浩太郎が受けた被害を無駄にしたくないと、

浩太郎が元気に育っていたら2,3百万のお金はかかっていただろう、

たとえ裁判で負けることになったとしても、

人の心は裁いてくれる

浩太郎のためにがんばろう、

2,3百万で済まないのなら、その時は、

もうこれ以上続けられないと全てを報道してもらおう

私達はそう覚悟を決めたのでした。





とはいっても、生まれてこの方、弁護士の存在は知っていても、

どうやって探せばいいのかさえ知りませんでした。

姉から「法テラス」という無料の相談窓口を教えてもらい、

そこに電話をしました。

事故のことを説明しているうち、涙が出て言葉になりませんでした。

やはり医療事故は専門の弁護士でないと難しいとのことで、

不得手な弁護士の1回30分の無料相談を何度も繰り返すより、

有料(30分5000円)ではありますがと、

医療事故研究会の弁護士さんを紹介していただいたのです。





そこに電話をかけると、

またも涙が出て、うまく説明できず、

「要式を送りますので、事の次第を書いて送り返してください。」

とのことでした。

最後に「大丈夫ですか?」と優しい言葉をかけていただきました。





電話をかけたのは、1月中旬、

その頃、私は母乳を3〜4時間置きに搾っていたし、

毎日3時に浩太郎の面会に行くため、

事の次第をまとめるためのゆっくりした時間などありませんでした。

ちょっとの合間を見て、少しずつ書くのですが、

どうかけばいいのか、要点をうまく整理できないし、

辛くて、悲しくて、悔しくて、涙が止め処なく流れて、

ちっとも進みませんでした。

見かねた夫が、上手く整理してくれて、

やっとの思いで弁護士事務所に返送しました。





そして2010年1月28日、

生まれて初めて弁護士事務所のドアを叩いたのでした。