「自然」すなわち「安全」か?


福岡県医報(平成22年10月)第1412号    産経新聞 九州総局 記者 力武崇樹



総務省のまとめ(平成20年)によると

日本の乳児死亡率(出生数1000あたりの

1歳未満乳児の年間死亡数)は2.6で、

いまだ100を超えるアフリカ諸国や

二桁にのぼるアジア各国に比べ、格段に低い。



アメリカ(6.7)やイギリス(5.0)、ドイツ(3.9)

などの先進諸国と比較しても、その低さは際立っている。



子供は家庭だけでなく、将来の日本を支える国の宝でもある。

出産や新生児医療に携わる医療関係者に、改めて敬意を表したい。







ただ、気になることに、

一命を取り留める技術が進んだおかげで

赤ちゃんの死亡率は下がったが、

入院しっぱなしになってしまう子供も多い

との意見を聞く。何とか命をつないでも、

人工呼吸器を外せなかったり、

重度の障害がのこったりする赤ちゃんが少なくない、との指摘である。







生まれてすぐの命を脅かす状況が、乳児自身がもつ因子で

引き起こされたのであれば、あきらめざるをえない。



しかし、

「赤ちゃんが最も不安定な出生直後の管理に問題がある」

とみる専門家もいる。





ひとつの興味深いデータがある。



九州のある総合病院のNICUに搬送された赤ちゃんが、

どの医療機関から運ばれたかを示す数字である。



搬送理由は呼吸停止や心拍低下など様々考えられるが、

搬送元は2年続けて同じ産科医院がトップで、

両年とも約15%を占めた。



その2年間、上位の顔ぶれもほぼ同じ産科医院だった。

もちろん、近隣の総合病院との位置関係や受け入れエリア、

産科側の分娩数なども考慮に入れなければ議論はできないが、

上位の産科医院と分娩数が同程度でも、

ほとんどNICUに搬送することがない医院もある。







出生数が全国的に減少傾向にある中で

NICUの不足が指摘されるのは、

母子を取り巻く環境の変化や母体の健康管理の不徹底のほか、

出生直後の母子管理の不備も無関係ではないだろう。



近年、日本でも出生直後の赤ちゃんを

母親が胸で抱く「カンガルーケア」が広まっている。

母乳育児の促進や良好な母子関係の構築に有効とされ、

効果を体感する母親も多い。







ただ、各地でカンガルーケア中に事故が起きていることも事実である。

昨年、日本母乳哺育学会の学術集会で、

赤ちゃんがカンガルーケア中に心肺停止や呼吸停止などに

陥った急変例が全国で16あり、そのうち2人は死亡、

5人は脳機能障害など重篤な後遺症が出たことが報告された。





医療関係者による別の集会のアンケートでも、

カンガルーケア中に呼吸停止や低血糖症、

チアノーゼなどの状態になる「ヒヤリ・ハット」が、

相当数発生していたことがわかった。







確かに、人工的な器具を使わないカンガルーケアは、「自然」に近い。

その後も母乳育児に結びつけば、子供にもいい影響を与えるだろう。

しかし、その最中に赤ちゃんにとって

重大な事故が起きては、何の意味もない。







もともと、自然は人にとって心地よい。

山で鳥のさえずりを聞き、川で魚が小さな群れをなすのをながめるは、

だれにとっても気分がいいはずだ。



だが、時に自然は地震や洪水、噴火などで猛威を振るい、

いとも簡単に人命を奪う。だからこそ、先人たちは

人工の防護策で災害から身を守ろうとしてきた。



それは、まさしく自然の営みである「出産」でも同じことだろう。

出生直後の、自律神経が安定するまでの赤ちゃんにとって、

周囲の環境は時に過酷ですらあるはずだ。

それゆえに、長年の英知と研究に基づき医療が介入し、

赤ちゃんを守ってきたのだろう。



そしてその結果として、

冒頭の誇るべき乳児死亡率の低さではなかったか。



なにも、カンガルーケアや自然が嫌いなわけではない。

カンガルーケアの最中に事故が起きている以上、

今一度立ち止まって「自然」について考えてもらいたいのである。