事故の詳細 そして母の思い その3(分娩後)(カンガルーケア)
22時13分 3156g 男の子 出産
覚えている時間は助産師から発せられたこの時間のみです。
「いいお産やったね~」と医師は何度も絶賛しました。
「高齢だったから心配してたけど、ほんといいお産やった」
「赤ちゃんも何の問題もなく元気!!」
そう言って赤ちゃんをちょっとだけ見せてくれて、どこかへ連れていったようでした。
羊水を吸い取っているのか、シュルシュルシュルーッというバキュームのような音がしたのも覚えています。
その後、膣の表面がほんの少しだけ裂けているから、縫合手術をしますと言われ、
ほんの10~20分程度なのでしょうか、
長い間両足を開いていて、更にですから、私には非常に長い時間(1時間ぐらい)に思えました。
終わる頃には、もう足がこわばっていて、体を動かすことも困難になっていたのを覚えています。
その間は、助産師がいたのか、いなかったのか、医師の気配しかわかりませんでした。
手術終了後、また医師は「ほんといいお産やった」といっていなくなりました。
この間に赤ちゃんは看護師によってロビーにいる夫に見せられ,この時夫が写真を撮ったのでした。
それが元気な浩太郎の最初で最後の写真となりました。
「抱っこしますか?」と促されたようですが,恐くて出来なかったそうです。
その後赤ちゃんは看護師によって体重などを計られて、また部屋の奥へと連れて行かれたそうです。
そして、手術を終えた医師が、
「お母さんも、赤ちゃんも元気で何の問題もありませんよ」と言ってエレベーターで去っていったそうです。
カンガルーケア・・・・
これは後から聞いた言葉で、この時は何の説明もなく、全く知りもしませんでした。
そういえば、手術の後、助産師から、「右を下にしますか、左を下にしますか?」と聞かれたのですが、
何のことか意味がわからず、右と左に何の違いがあるのかと疑問に思ったくらいですが,
「じゃあ、右で」と言ったのを覚えています。医師が去ってからどれくらいでしょうか、
①→
助産師が肌着一枚の赤ちゃんを連れてきて、分娩台で右を下にして横たわっている私に抱かせました。
抱くというよりは、右腕に乗せて、胸に子の顔をくっつけるような格好です。
子は左を下にして、私の乳首に口をふくませている状態で、私からは子の頭、鼻までしか見えません。
助産師が何やら言いましたが,覚えているのは「体を密着させて」という言葉のみで、それは鮮烈でした。
子は最初に私の乳首をチュッチュッと一口吸い、体も動いていました。
なんとなく目をやった時、手の爪の色が紫色だったので,「爪の色が悪いんですけど・・」と質問すると、
助産師は
「産まれたばかりの子はそういう色をしていることもあるので大丈夫(・・・)ですよ」と返答しました。
そして
「ナースコールここに置きますね」と、私の頭の上部辺りで言いました。
ナースコールそのものは見ていません。
「この辺を片付けてから、ご主人を呼びますね」と言い、見えなくなりました。
この時、この場を離れるとは一言もいいませんでした。
カチャカチャという音がしていたので近くに居ると思っていました。
しばらくして(1~2分)、子が動かなくなったので、
「動かないんですけど・・」と質問しました。
すると、すぐにやっては来ましたが、傍に来ただけで、抱きかかえず、子を直視せず、
「お母さん方皆さんそう言われますけど、ずっと動いているわけじゃないので、大丈夫ですよ」と
当たり前のように、見下すように言い、また見えなくなりました。
そのすぐ後、子の足がピクンと動いたので、そういうものなのかと思いました。
けれど、それを最後に全く動かなくなったのです。
心配になって、「ほんとに大丈夫なんですか~」と言っても応答はありません。
その内、夫が分娩室に入ってきました。
私は覚えていないのですが、
「動かんとけど、大丈夫かな? 大丈夫って言わしたとけど・・・」と聞いているみたいです。
夫は「大丈夫って言わしたとやろ? なら大丈夫さ!」と気にもとめていなかったようです。
これはもちろん当たり前でしょう。
そしてすぐに私が実家の母に電話をかけるように言ったので、
夫は私の足元の方で電話をかけ、安心したのか、タバコを吸いに行ってくると行って出て行きました。
分娩室に居たのはほんの1~2分で、私の傍まで来ていないし、まして子の状態も見ていません。
その後も子は動きません。非常に不安でたまりませんでした。
「こうたろう~」と手を持って、話かけても反応がありません。
眠っているのかな?って思ったり、
乳首から口は離れていなかったので、息が出来ないんじゃないかな?って思ったり、
そのうち手も白くなって、持ち上げても力もなくだらんとしていて、
なんとなく冷たいような気がして、寒いんじゃないかな?って思いましたが、
「体を密着させて」と言われているので、動いて離しちゃいけないと思ったし、
動かそうにも体は思うように動かないので、どうすることもできませんでした。
この間、2,3度
「本当に大丈夫なんですか~、動かないんですけど~」と言いましたが、応答はありませんでした。
ハッとここに居ない!と気付き、
ナースコールを左手で頭の上部を捜しましたが、見当たらず、
「看護婦さ~ん」と大声で呼んでも返事がなく、もう一度「看護婦さ~ん!」 それでも応答がありません。
その時なんでそう思ったのかわかりませんが、
助産師の名前は何だったっけ?何だったっけ?と必死になって思い出そうとし、
そして助産師の名前が白衣の胸に書いてあったのを思い出し、
「〇〇さ~ん」と呼んだらやっと来たのでした。
①
からこの間、数十分だと思います。
つまり呼吸が停止していたと思われる時間です。
駆けつけた助産師は子どもをわきの小さいワゴンベットにのせました。
「でも心音はしてます」
おそらく医師に連絡した際の言葉でしょう、この言葉は鮮明に覚えています。
私はたぶんここで叫び声を上げたようです。
その声を丁度、エレベーターで戻ってきた夫が聞き、駆けつけました。
「どうしたと? どうしたと?」夫も訳が分からなくて当然です。
私も「こうたろう!こうたろう!」と叫び、混乱しながら、ありのままを夫に話したように思います。
まず看護師が来て、心臓マッサージを始めました。
私からは見えないのですが、夫は子が酸素マスクをしていたのは見ていますが,
アンビューといわれる加圧をするための青いバックは見ていません。
その後、医師が来て,何をするわけでもなく、ただオロオロとして、
「救急隊に電話した、救急隊に電話した」と言うばかりでした。
その後、救急隊が来て、子を連れて行きました。
「お父さんも一緒に!」という救急隊員の人の言葉に、
夫は、半狂乱になっている私を置いては子に付いてはいけないと言いましたが、
私に促され、「家内を一人にするなよ!」と叫んで、自分の車で向かったのでした。
夫にしてみれば、何がなんだかわからず、私にも何かあったのではないか?と心配で、
子の搬送先からもこの医院に帰ってこなくてはならないからと咄嗟に判断したのです。
なぜ搬送されたのか、医師からも、もちろん助産師からも何の説明もありませんでした。
救急車には医師と看護師が乗って行ったそうです。
その後も私は分娩室でたった一人でした。
手を合わせ、天国の父と義母にどうか、こうたろうを連れて行かないでくれと一心不乱に祈っていました。
その間、最初に対応した中年の助産師が、
「どうしたの!どうしたの!」と言ってやって来ました。
この時でさえ、この人居たんだと思い、院内に二人しかいないなどとは思いもしなかったのです。
後で分かったことですが、この人が師長で、おそらく自宅から駆けつけ、
この間、助産師に事情を聞いていたのでしょう。
その後、助産師が私の傍に来て、
「ナースコール、ここに置いたのわからなかったですか?」と聞きました。
私は頭の上を指して「捜したけど、なくて、だから呼びました」と答えました。
すると助産師は「ここに置いたら落ちるので、ここに掛けてました」と言ったのです!
その時初めてベッドのわきに掛けてあった、丸い形のナースコールを見ました。
それでもそれは私から見える所、また手の届く所にはありませんでした。
その後も1時間ぐらいでしょうか、私は分娩室でたった一人でした。
病室(4F)へ 既に0時は回っていたと思います。
担当助産師に付き添われ,車椅子で4Fの病室へ行きました。
病室へ行く前か後か覚えていませんが、
こうたろうの容態が落ちついたという電話が夫からあったと告げられホッとしました。
中年の助産師が部屋に来ました。
自分を責めている私に、「責めるなら私達助産師を責めてくれ!」と言ってくれて、少し心が救われました。
気を落ち着かせるために世間話をしている時に、この人が師長だとわかったのでした。
深夜(2時とか3時だと思います) 夫が帰ってきました。
非常に厳しい状態と言われ、ショックを受けました。
後から院長(医師は院長なのです)も来て、
夫が、「もしものことがあったら、出るとこ出ますけんね」と言いました。
この時点で院長は裁判になるかもと予測できたと思われます。
その後、夫から、こうたろうの呼吸が止まっていたとことを知らされたのでした。
容態が落ちついたというのは、子に人口呼吸器が装着され、搬送先の医師から説明を受けた後、
私を安心させる為の夫の気遣いだったのです。
市民病院にて
到着後すぐに子はNICUへ連れていかれました。
夫と付き添ってきた看護師は廊下で待たされました。
院長はNICUの中に入って、出たり入ったりしていたそうです。
2時間ぐらい待たされ、看護師は途中医院に帰ると言いだし、
夫は、ここでも「絶対、家内を一人にするなよ!」と言って帰したそうです。
市民病院の医師より
「ここに来た時には完全に呼吸が止まっていた」
夫が原因は?と聞くと、
「わかりません。長いこと呼吸が止まっていたことが原因です。ここ2,3日が山です。」
院長に問うと、
「わかりません」ばかり
「お父さんも見たでしょう!!元気に生まれてきたでしょう!!」
市民病院の医師 「もっと早く処置していれば、ここまで酷くはならなかったでしょう」
そこで夫は私から聞いていたことでピンときて、
「これは医療事故だ!」ときっぱり言い切ったそうです。
この時でさえ,カンガルーケアが行われていたとは知りませんでした。
医院に帰る時
院長は夫の車に「乗せてくれ」と言ったそうです。
なんと無神経で、無頓着な人でしょう! 事の重大さを全く感じていないのです。
もちろん夫は「そんな義理はありません」ときっぱり断ったそうです。
自分の車を運転して、救急車の後を追いかけて行くだけでも相当の努力が要ったと思います。
救急隊の人でさえ、自分の車で行くという夫に、
「お父さん、気をしっかり持ってください。無理はしないでついてきてください。」と
気遣ってくれたというのに。