カンガルーケアの事故報道から見えたきたこと


取材・分/河合蘭   REBORNより引用







「元気に生まれた赤ちゃんがカンガルーケアの最中に急変し、深刻な事態に」

こんなニュースがしばしばTV、新聞で報じられ、実施を中止した施設も出ている。

カンガルーケアは危険なのだろうか?

そもそも出産直後の赤ちゃんは自力呼吸への劇的な転換を成し遂げたばかりで、すべての子が不安定だ。

カンガルーケアをする、しないに関わらず、そうした時期を十分に見守る態勢が日本の分娩室に備わっているだろうか。

カンガルーケアの背景を考えてみると、周産期医療の基本的な盲点も見えてきた。







●「子育てのつながるお産」の象徴だったカンガルーケアが・・・

カンガルーケアは、1970年代、南米のコロンビアの首都ボゴタの病院から広まった。

この病院では保育器が不足している上に早産や低出生体重児も多く困窮していたが、

まるでカンガルーのように母親が四六時中抱き続けるようにしたところ感染症による院内死亡が激減した。

そしてカンガルーケアの力はそれだけではなかった。親の心にも変化が起こり、育児拒否が減ったのだ。



後者の部分は、先進国からもたちまち注目された。

カンガルーケアは急速に世界中のNICU(新生児集中治療室)に広がり、やがて一般の赤ちゃんにも普及していった。

周産期医療は命を救えばそれでいいと思っている専門家は、もう少ない。

20世紀の周産期医療は技術は進歩したが、それは時には哺乳類の親子の絆形成システムを妨げ、

赤ちゃんをわが子と実感しにくい親を増やす過程でもあった。

それに気づいていた専門家たちは、子育ても視野に入れた周産期医療の象徴のように、カンガルーケアを歓迎した。







●メリットは揺るぎがない

カンガルーケアの海外事情に詳しい永井周子医師(京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻健康情報学分野)によると、

その定義は定められていないものの世界に共通して言えるのは

「新生児を母親の胸に直接肌と肌を合わせて立位に向かい合わせに抱く方法」だということ。

カンガルーケアの研究は世界中で多数行われており、意見交換も積み重ねられてきた。



永井医師が日本小児科学会雑誌に書いた報告には、カンガルーケアは海外では1990年代にはすでに

新生児医療の教科書に登場するほど定着していて、今世紀に入ると

「コクラン共同計画(通称コクランレビュー=世界中で発表される研究の中から選りすぐりのものを集めて検討する事業)」に登場したとある。

このコクランレビューにより、低出生体重児のカンガルーケアには、院内感染、重度の疾患、母親の不満などが減り、

より長く母乳をあげる人が増えるといったメリットがあることが確認された。

2003年には、正期産の赤ちゃんを対象にして、母乳や育児についての効果が検討された。

その結果、正期産の直後におこなわれるカンガルーケアは、母乳育児の継続期間を長くし、

授乳中の母親の愛着行動を増やすことが認められた。







●亡くなる赤ちゃんや意識が戻らない赤ちゃんもいる

それなのに今、カンガルーケアをめぐっては医療訴訟も起き、中止する施設もある。

正常新生児に限ってのことなのだが、カンガルーケアの最中に急変し、

重症化する赤ちゃんがいることが報道されるようになったからだ。

気道閉塞を起こすなど、何らかの理由で呼吸が停止してしまうことが多い。



早く気づけば大事には至らないことが多いが、時間が経過してしまうと、

脳に酸素が欠乏し致命的な損傷を受けてしまうこともある。



事例報告は、新生児科の医師たちの間から2008年ごろより上がり始めた。

倉敷中央病院総合周産期母子医療センターの渡部晋一医師は、2005年から今までに三回、

カンガルーケアの最中に急変し、重症化の搬送を受けてきた。

そのうちふたりは意識がない状態が続いており、1人は亡くなっている。

いずれも、分娩室に医療者がいなくなり、赤ちゃんと親だけになってしまった時に、人知れず呼吸が止まっていた。







●親には難しい早期発見

渡部医師によると、親が出産直後の状態を自力で見守るのは限界があると言う。

異変が起き始めたときの微妙な変化は、日々たくさんの新生児を見ている医療者でなければわからない。

そもそも、元気に生まれてきた赤ちゃんが、実は呼吸が不安定な状態だということが一般的に知られていない。

だから親たちは「おかしいのでは?」と思っても、すぐ「大丈夫だろう」と思ってしまい、

あとで耐えられないほど大きな悔恨に見舞われる。



渡部医師は「カンガルーケアがよいものだからこそ、ちゃんと安全管理をしていかなければ」と考えている。

渡部医師は親子の絆作りはとても大切なことだと考えているし、

今も自分の病院の分娩でカンガルーケアを実践しており、中止する気もない。



ただ搬送例を見ていると、改善点があるのでは、という思いが湧いてくる。



例えば、分娩中に危険な兆候があった赤ちゃんにカンガルーケアがおこなわれていた例もあった。

倉敷中央病院では、そのような場合は医療行為を優先してカンガルーケアはおこなっていない。

また、親子だけの時間ができないようにしよう、ということも申し合わせているし、

もし赤ちゃんの呼吸が止まればブザーで知らせる装置も使っている。

出産直後の赤ちゃんの不安定さについても、母親に説明している。

このような、安心しておこなえるカンガルーケアが広がることが渡部医師の願いだ。







●「うつぶせ寝」が原因?

今、求められているのはカンガルーケアの安全マニュアルだ。

しかし、早産の赤ちゃんのカンガルーケアに較べ、正常新生児が出産直後におこなうンガルーケアについては

研究が始まったばかりで、まだよくわかっていない。

新生児医療連絡会で全国のNICU205施設に調査を行ったところ、カンガルーケアの最中の急変について合計31例の報告を得た。



ただ、これだけでは急変に至る経緯はよくわからない。

今までの報告の中で大規模なものはフランスで2008年におこなわれた調査で、

カンガルーケアをおこなったかどうかに関わらず約6万人の赤ちゃんが調べられた。

出産後2時間以内に呼吸が急変したのは2名で、発症率は非常に少なかった。



ただ、その2例には共通点があり、それは「初産」「カンガルーケアをしている時に発症した」

「そのとき分娩室には医療スタッフがいなかった」の3点だったため、これらが危険因子だと考える人もいる。



カンガルーケア自体に、有害性はあるのだろうか。

これについて、医師の間では「寝かせ方を検討すべき」という声が高い。

NICUのカンガルーケアはリクライニングチェアを使っているが、分娩室では、

平らに寝た母親の上に赤ちゃんがうつぶせ寝に乗るところが少なくない。

この姿勢は、SIDS(乳幼児突然死症候群)を増やすことがわかっている。

もしもうつぶせ寝がカンガルーケアのリスクを作っているなら背を少し起こしたり、クッションを使ったりすれば解決する。



新生児医療連絡会の調査では状況がよくわかる急変例をさらに調べている。

16例中9例は平らなうつぶせ寝で、重症の赤ちゃんが多かった。

逆に、急変はしたが元気に退院できたケースには、装置を使って赤ちゃんの呼吸を監視していたケースが多いという特徴があった。



カンガルーのガイドラインとしては、WHO(世界保健機構)が作成した

『Kangaroo Mother care: a practical guide』・邦題:カンガルー・マザー・ケア実践ガイド

(日本ラクテーションコンサルタント協会)をはじめいくつか作られているが、低出生体重児に関することが中心だ。

日本では、有志の新生児科医がワーキンググループを作って作成した『カンガルーケア・ガイドライン』がある。



ここでは内容が対象別に整理されており、低出生体重児、集中治療下にある子への指針に並んで

「正期産児に出生直後に行うカンガルーケア」という項目も立てられた。

そこでは「家族に対する十分な事前説明」「機械を用いたモニタリング及び新生児蘇生に熟練した医療者による観察など」の

安全確保が必要だと書かれているが、その詳細については今後「さらなる研究と基準策定が要る」としている。

日本未熟児新生児学会は、正常新生児の急変についての全国調査を実施の上、今後、

正常な新生児のためのガイドライン作成を予定している。これは待望のガイドライン登場であり、具体的な内容を望む声が高い。







●お産の混み具合にふりまわされる安全管理

正常新生児のためのガイドラインと共に望まれるのは、それを実践できる態勢だ。

赤ちゃん親を分娩室に放置しないことは大原則になると予想されるが、日本の分娩室は、おしなべて人手不足だ。

放置を確実に避けられる出産施設は少ない。



それなら赤ちゃんの呼吸を監視できる装置を使うという手があるが、それも装着されないことが多い。

「機械がつくと母親が不安になる」という声があるからだ。

確かに、日本の母親は今、無事に生まれた赤ちゃんはもう何の心配もないと思っているし、

実際、正常な赤ちゃんの呼吸が停止するのはまれなことだ。

これまでのいくつかの調査によると一万出生につき数件あるかないかで、産科医1人にとっては一生遭遇しないかもしれない確率だ。



しかし仮に確率が1万分の一だとしても、毎年生まれる正常新生児は百万人ほどいる。

元気に生まれたのに呼吸が急変する赤ちゃんは、日本中で見れば毎年百人くらいいることになる。



人手があればそれに越したことはないが、それがすぐに難しいのであれば、機械を使うという次善の策をとることも必要かもしれない。

NICU(新生児集中治療室)にいる早産の赤ちゃんたちは呼吸を監視する装置を必ずつけていて、

異変があればブザーが鳴りすぐに看護師が飛んでくるので、呼吸停止が見過ごされるようなことは、まず起きない。

看護師数の配置も手厚い。

診療報酬の規定により、ひとりの看護師がみてよい赤ちゃんの人数は24時間を通じて3人までと決まっている。

このように看護師を配置すればそれ相応の診療点数が加算され、人件費を捻出できる。



ところが分娩室の安全を見守る看護職は(助産師も看護職の一職種)、人数規定がない。

正常な経過をたどって生まれた赤ちゃんは、どれだけ観察してもらえるかはその日の混み具合による。

人数のいないところでは夜間の状況など本当に厳しく、数名の看護職で、分娩も、入院中の親子のケアも切り回している。

それでは、どんなに一生懸命なスタッフがいても、限界というものがある。

赤ちゃんの命を守る業務が、その日の混み具合に翻弄されてしまう。







●新生児ナースプラクティショナーが活躍する米国

米国で新生児NP(ナースプラクティショナ−)の資格を取得しているエクランド源稚子(わかこ)さん

(バンダビルト大学看護学部大学院新生児NP非常勤講師)によると、米国の病院では、

通常の産科病棟に当たる部門ではたいてい赤ちゃん5〜6人のためにひとりの看護師が配置されているという。



それは赤ちゃんだけを担当する場合であって、お母さんもみる場合は看護師ひとりあたり3組くらいしか担当しなくていい。

そのかわり看護師に期待されるものは大きく、訓練も厳しい。

米国では「トランジション(過渡期)ケア」と称し、出産直後の新生児を見守るアセスメントの方法が確立している。



方法の大元は、米国小児学会(American Academy of Pediatrics)と

米国産婦人科学会(The American College of Obstetricians and Gynecologists)が共同で出している

『Guideline for Perinatal Care(周産期ケアガイドライン)』に書かれており、

それをもとに州ごと、あるいは病院ごとのガイドラインが作成される。



基本的に、1人の看護師が1人の赤ちゃんを担当して観察を続ける。

体温、顔や身体の色、呼吸パターン、赤ちゃんの意識状態、自発的な動きはどうかなどかなりたくさんの項目が決められていて、

それを、すべてが安定してから無事2時が間経過するまで30分ごとに繰り返す。



「一般の新生児が異変を起こしたとき最初に気づくのは、ほとんどの場合、看護師なのです。

だから、この人たちが異変を発見できて、必要ならすぐにある程度の蘇生法を実践できることは

最低限の安全ではないでしょうか。」とエクランドさんは言う。



新生児蘇生法は、国際蘇生委員会(International Liason Comitee on Resuscitation : ILCOR)が作成し、

改良し続けている国際的なスタンダードがある。

日本でもこの講習が始まっているが、米国の分娩室では、勤務している看護師は誰でもこの方法を習得していなければならない。

受けていない者は勤務できないし、2年ごとと決められた更新も確実にクリアーしなれければならない。

こうした環境は、誰かが上から与えてくれるものではない。

エクランドさんは、米国の今日の態勢は、新生児NPによる行政への強い働きかけがあったから実現したのだという。

異変発見の最前線に立つ立場として、看護職自身が「自分たちの責任を果たせる体制」を国に求めたのだ。







●日本の赤ちゃんは、入院患者として認められていない

青森県立中央病院総合周産期母子医療センター新生児集中治療管理部部長・網塚貴介医師は、

日本の医療システムには 「正常新生児が1人の人として扱われていない」という大きな欠陥があることを指摘する。



日本の医療施設は、診療報酬の規定や医療法に照らし、入院患者の数に基づいて看護職員の数を決めている。

ところが医療法では、産科病棟にいる赤ちゃんは入院患者として認められていない。

赤ちゃんに治療が必要になった場合は、その時点ですみやかに入院の手続きをして小児科の入院患者としてカウントする。

しかし小児科の治療が要らないごく一般の新生児は「母親の付属物」なのだ。



網塚医師は言う。「病院は保険制度を中心に動いていますから、 正常に生まれた赤ちゃんは、自分のカルテもないことがありますよ。

赤ちゃんについて書くべきことがあったら、お母さんのカルテに書くんです。

このような制度の下で、赤ちゃんをずっと観察しなさい、そのための人を雇いなさい、

と言われても、病院にとって正常な新生児は「いない人」なのですからどうしようもないですよね」







●国が40年以上前にとった対策があった

国は、この問題をまったく無視してきたわけではない。今から40年あまりさかのぼる1968年、

厚労省は医療法施行規則の新生児に係わる看護職の人数について一部を改正する省令を公布し、

「病院にいるべき看護職数は新生児を含めた人数から算定するように」と通知した。



このときに出された厚生事務次官通知には、この省令は

「新生児ら関する事故がたびたび発生すること等にかんがみ」公布されたものだと説明されている。

この時代にも新生児の問題が取り沙汰されたらしい。赤ちゃんの安全性の問題は古くからあったのだ。



この省令は、医療法の中に健康な赤ちゃんの存在を認めてくれた。

ただ、健常な新生児はあいかわらず「収容」されているだけの立場にとどまった。

この新省令については医務局長からも通知が出ていて、そこには

「(新省令は)新生児を入院患者と同じ取り扱いにするものであって、

収容されている新生児を医療法上の患者として扱うこととしたものではない」とある。



病院の人事に係わる人たちからも、この省令のおかげで新生児の観察に十分な人数が確保できるようになった、という話は聞かない。

十分な体制をとるにはその裏付けとなる費用も人も必要であり、それは一枚の通知だけで解決される問題とも思われない。

病院の中では、産科病棟は他科から「健康な人がいる、手のかからない病棟」と思われる傾もあり、

赤ちゃんの観察や世話についての負担はなかなか理解されないという話も聞く。



しかし、どれも40年前からほとんど進んでいないのが実情ではなかろうか。

その中で、赤ちゃんはだまって放置されてきた。 

放置されてしまった時間帯にたまたま急変した赤ちゃんについて、私たちはどう考えればいいのだろう。

それは、私たちの医療資源に相応なできごとであり「天命」なのだろうか?







●新生児室にもリスクは潜む

赤ちゃんの周囲に誰もいなくなるリスクは、分娩室を出ても続く。

母子別室制で新生児室にあずけられれば、「盗まれてはいけない」と鍵をかけられることもある。



つまり、それは、一定時間誰も新生児室にいなくなることを意味している。

誰もいない新生児室では赤ちゃんが泣いても誰も答えないし、呼吸が急変しても誰もわからない。網塚医師は言う。



「新生児室に正常新生児をあずかるという行為は託児と見ることもできませんか。

もし保育所で0歳児をあずかれば、国が定める児童福祉施設最低基準により、

赤ちゃん3人につき1人の保育士がいなければなりません。でも産科病棟にある新生児室には、何の規定もないのです。」







●スケープゴートになりかけているカンガルーケア

自然は厳しいものなので、急変して重症化する赤ちゃんを0人にすることはできないだろう。

でも発見が早ければ、意識のないまま生きていく子を減らすことはできるだろう。



網塚医師は、今、批判すべき対象を見間違えてはいけない、という。

「カンガルーケアはスケープゴート(問題の核心から人々の目をそらすため生け贄にされる山羊)にされそうになっています。

ちゃんと真犯人を捜して言わないと、カンガルーケアは本当になくなっていくかもしれません。」



赤ちゃんたちの生命を脅かしている「真犯人」を本気で探すこと、これはすべての赤ちゃんたちのためだ。

その結果、カンガルーケアも守られるだろう。

カンガルーケアの事故報道が、せっかく分娩室に育ってきた「子育てにつながるお産」という認識を後退させてはならない。

そのように時代を逆行させるのではなく、これを今までの分娩室に隠れていた問題を見つめる契機とし、さらに先へと歩いていきたいものだ。










(REBORN HPより引用)